男の子の脳、女の子の脳

(レナード・サックス/著:草思社)"> 男の子の脳、女の子の脳-<p>性差について、非常に納得のできる本。子供の育て方ではなく、おそらく、自分もそうだったと膝を打ちます。自分自身についても、知ることができます。</p>

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男の子の脳、女の子の脳

「男」と「女」という性差に基づいた教育を述べています。

人の性差を、あたかも存在しないものとしている、現代の教育はよくない効果を社会に及ぼすと主張します。

論拠として、脳の発達過程の違いを挙げていますが、そういう難しいところははしょるなり新たな研究報告を待つことにしましょう。

それ以上に、実際のケースの書かれたところが実に面白いのです。

たとえば、、、、

男の子はまだ耳が成長しきっていないのか、先天的に男性は耳が悪いのか、聞こえが悪いのです。

男性教師が大声で怒るとき、男の子には効くけれども、女の子には怒鳴られて脅されているようにしか聞こえないために、効果がない。

女性教師が男の子に諭すように説教しても、男の子の耳は鈍感で「聞こえていない」ために、効果がない。女の子には効く。

つまり、男の子と女の子とでは話し方以上に、声量に留意しないと効果がない、というわけです。

次の例。

女の子は、感情を大脳皮質で処理するので、感情を言葉にして表現ができる。だから、よくおしゃべりをする。立ち話をする。気持ちを表すことができる。自分を語れる。

男の子は、感情を脳の原始的な部分である偏桃体で処理するため、うまく言葉にできない。自分でもどんな感情が沸き起こっているかつかめない。だから、むしゃくしゃして暴れたり大騒ぎをする。遊びも言葉の要らないスポーツ。

男の子の赤ちゃんは、動きのあるトラックや電車のおもちゃに反応する。(男の子は線路沿いで電車を見てるわ)

女の子の赤ちゃんは、人の顔に反応する。(だから長じて化粧するのかと大納得!)

こうした性差の研究成果は、ほんとうに面白く読めます。お子さんがいる方は是非、読んでおきましょう。

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本書にて筆者は、性差が社会の基本的部分のみならず、秩序や調和を担うものと述べます。

性差はある。歴然としてある。しかし、そこに優劣はない、と主張します。

男と女をたとえて、スプーンとフォークの関係にあるといいます。

スプーンとフォークには優劣はない。同じ器具でもないし、同じ取り扱いでもよくない、と。

男女も、同じ育て方をするのは混乱を生む。スプーンだけでステーキを食べたり、フォークでスープを飲むようなものだ、というわけです。

男には男にしかわからないものがあり、女には女にしかわからないものがある。

経験的に、そう思わざるを得なかったわたしには、実に得心の行く一冊でした。

あと、個人的メモですが、男女の脳の発展度合いも面白かった。

人は、30歳あたりになってようやく、脳の全機能が成長するとのことです。

弾性は人の話しを聞かないとか、女性は地図が読めないとか言われますが、それは、30あたりまでは、十分に脳が発達しきっていないことが大きいとのこと。

30を越える辺りから、男性は落ち着いて物を考えられるようになったり話を聞くようになったり、女性は地図読解といた空間把握も上手になってくる。つまり、30あたりになってようやく、男女とも脳が成長しきるわけです。

脳の差はない、ただ、発達の仕方が異なるがために、差があるように見えるのだ、という主張には、非常に納得できました。

< 作成日 2010/06/12 >


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